電子書籍が あらわれて 街の本屋が へって ニュースになったりしました。
私自身は 無類の本好きなので 本屋が 消えるなど考えられない。
電子書籍も ためしましたが なんだかしっくりこず、結局最近は 紙のほうに
戻っています。
社会全体が インターネットの登場で いわゆる電子機器に すべて かたむいて テレビもラジオも 変わってきています。
街なかの カフェなどで 小さいベビーカーのお子さんに スマホを 持たせて 子守させている方もよく見かけます。
子供ようの アプリもたくさんあります。
私が子育てしていたころは テレビゲームとか ゲームボーイとかがではじめ、
コンピューターゲームというジャンルで 子供が 触れ始めたころでした。
専制君主の家庭内仕切り役の 私は ロシア並みの メディア管理を しておりまして 、漫画本なども 私の 検閲を通ったものしか 家に持ち込ませないと 決めていましたし、もちろん いわゆる ゲームなどは 御法度でした。
子供の 友人の親御さんから ゲームでもさせておかないと コンピューターに 弱くなるとか言われましたけれど そんなことは ありませんでした。
ふたりとも 海外留学やインタナショナルスクールで PC使って勉強し、今も何ら不自由はありません。
そのような 都市伝説じみた ことが 子育ての中でも あると思います。
子供を 寝かしつけるときに する読み聞かせ。
こちらも 効果やら いろいろといわれております。
親子で 同じ世界観を 共有できるとかとおっしゃる方もいらっしゃいますし
親この 大事な時間とか とも聞きます。
実際、ご家庭で いろりいろの 思いを 持ってなさっているでしょう。
でも この読み聞かせで 本の好きな子供が できると思っておいでだったら ちょっと 方向性が 違うと 思うのです。
本を読むということは その本の世界を 自分で構築する 力を 要します。
自分で 感じた音 、想像した色、自分で 描いたキャラクターとか 自分のなかで つくっていって はじめて その世界を把握して 入っていけると思います。
うちでは サービスとしての よみきかせは 少ししましたが 基本、 一人で しっかり寝るのが 子供の 今の使命というスタンスですから、寝付くまでとかは していません。
寝る時ではなく 他の 時間に 相手をすることとして 山のように 読んでやっていました。そして 本人にも 字のないえほんからはじまって 自分で見るように させました。
福音館の子供の友という 月間の 良い絵本が内容もよく 薄くて安価なので シリーズ購読して 駕籠にたくさんいれておいて 好きに読ませましたし、外出時も 必ず たずさえて 読んでもらいました。
字が読めなくても ずっと それで 静かにできるのです。
読んで聞かせるときも 求められるままに 薄いので 多い時は 40冊も 読みました。
同じものを 何度も何度も 読んだこともあります。
このような 読み聞かせなら 子供が 本の世界に 入っていけると思います。
自分が 小さいころから 本好きで そんなに本ばかり読んでは 眼が悪くなるとか いわれていましたが 実際、両親から読み聞かせてもらったことはありません。
昭和の二ケタ後半の両親で 母は専業主婦でしたが 忙しく家事をしていましたし、子供の相手をする云々が いわれていませんでしたし。
でも 両親は 家で よく本や新聞を読んでいました。
本を読むのがあたりまえの 家の中でした。
いまは スマホや PCやテレビが全盛で 大人自体も 本を読む人が減っているようです。
多分、楽しさを 得ることができないのかもしれません。
日本語というのは 文字の種類が おおく、ある意味とても ヴィジュアル感 のある言葉です。
はなと花と華では 同じ発音でも 違う画像が うかびませんか?
これは あくまで 眼から見た情報が 脳の中で 画像イメージとしてできてくるものです。
ですから 思い浮かぶものは ひとによってはちがうわけで それぞれの イメージ世界があるわけです。
このイメージ世界が 豊富に浮かべば浮かぶほど 本などを 楽しむ技が身につくのです。
そして それは 国語力の源泉となりえると思います。
決して地を速く読めるようにさせることを お勧めしているわけではないので 間違えずにいていただきたいのですが イメージを作れる経験を たくさんすることで 磨かれる能力が 勉強や コミュニケーション能力なども 培ってくれると思います。
塾に行ったり 幼児教室で 学べることではありません。
本という身近な ものを 子育ての大きな 味方に することができるのです。
そして クオリティの良い本を 選んでやれるように。
推薦図書とかが 決していいわけでもありません。ここは 大人が 知力を 駆使してください。まるで 自信ない方は 福音館の母の友などが 参考になるかもしれません。今の日本の教育は 机の上の試験勉強だけで 本当の知的教養を 養う力は なさそうです。
おとなになり、社会にでて 世界で 通用するのは 試験勉強ではなく 身についた教養であると思います。
教養はありすぎて困ることはありませんが 急につけることは できません。
小さいうちから 家の中で 大人がルールをつくったり こまかく気配りを することで 自然と 良い方向へ 導いてやりたいものです。
私の家のなかでも それは いろいろ 失敗もあったと思いますが してよかったと 思えることも たくさんあります。
大人になった、子供から 自分が子育てするときも 同じように すると思うと いわれたのは 成功したところもあった 証拠と思えるのです。
”坂道のリンゴ”である子供が 転がる方向を決めるのは もしくは 転がらないようにできるのは 大人です。