月別アーカイブ: 2018年3月

原因不明の胃痛,下痢、ちょい吐き気と戦った件-簡単な対処法

どうも 今年は 前厄なせいか 健康面で とんでもないことが おこって

お祓い需要がましてきています。

今回は ぬかして書きますが 一月の初めに生まれて初めて自覚しての捻挫を体験して、今回の 多分なにかの感染性胃腸炎と 思われる体験をしました。

前日の夜から 胃もたれがして 悪寒もあったので 風邪かなと思い お風呂で あったまって早くに休んだのですが 明け方 腹痛でめがさめました。

それが 胃痛だったので 胃酸過多気味の自分としては 胃痛の薬を あとで 飲もうと 少し我慢したんですが どうも激しいので 胃痛の市販薬を 飲んで 少ししても おさまらない。

仕方ないので もう少し 胃痙攣などむきの クスリを試したら

突然の吐き気が。

わたしは 自慢ではありませんが つわりでもはいたことがなく 今までの人生で おう吐したことが 数えるほどしかないものなのですが

抑え込むのに 冷汗が 出るほどの 激しさに驚きました。

どちらにしても 仕事のない リタイアの身で予定も入っていないし パートナーには 撃沈宣言して ベッド居座りと相成りました。

そして たびたび、おそってくる 胃痛!

あいたたといってしまうほど。

時間をおいてですがなかなかの 攻撃。

それから 2時間ほどで 水様の下痢も来て 間の平穏時になんとか調べて

なにかの感染症だろうと検討を付けました。

勿論、絶食ですが 水分はとらねばならぬと パートナーが畑仕事の間に飲む等いって買い込んだ 経口保水電解質液で 補給。

回数続く下痢ですが 腸のほうは 痛みはなく 助かりました。

丸一日 ベッドで がんばりまして 思い出して夕方からは 濃い目に入れた 紅茶も飲んでみました。

濃く入れた紅茶は インドなどでは おなかを壊したときに勧められる飲み物で

強く出たタンニンに粘膜保護作用があるので 赤ちゃんの下痢の時などにも

(これは薄くですが)使えるものです。

勿論、砂糖もミルクも入れずにブラックで。

こうして この2点を 水分補給して 2日目には 下痢も胃痛ももちろんおう吐も おさまりました。

とりあえず腸などがあれているだろうから かき玉のお味噌汁、もち麦のおかゆ

ウィダーインゼリーの ミネラル重視のグレープ味のものなどを食べましたが 今のところは ぶり返すようすはありません。

わたしは 医者に行く暇もありましたが 余計になにかもらうのも嫌だったので いよいよまで 自分で 何とかという方針で 頑張りましたが

時間も体力的にも余裕のない方。

そして、費用的にリーズナブルな やり方をお求めのかた とりあえずの対処法としては お勧めできます。

もちろん1日以上続いた場合は医療機関を受診したほうが良いですが

何もしないで 臥せったりしないで この位はできるように お家に置いておくのもいいのでは ないでしょうか。

経口保水液は粉末で スティック状ですので 変質もあまりしませんし、紅茶もごく安いもので結構です。

勿論、ティーバッグくらいではないと ペットボトルでは 濃くないので 、お醤油?と思う位、濃く入れたほうが効くようです。

軽くおなかの調子が悪い時にも 使えると思います。

粘膜保護作用なので のどなどが痛いときは うがいに使うのもいけます。

わたしは いわゆる、イソジンガーグルなどのうがいクスリが 死んだほうがましなくらい苦手なので 、なんとか 違う方法を かんがえます。

あと、ちょっと 衛生的に心配な お食事をいただくシーンなどでは 白ワインが良いそうです。

これは ワインの専門書にかかれていて ヨーロッパ人などが むかしインド旅行にいって 食事の際に していたことらしいのです。

赤やロゼでは ダメで 白だけに殺菌効果があるそうでした。

一般の薬は 市販でも病院で出されるものでも 効果はありますが

きつい効果で そのあとの 緩和するものがあまりないと思います。

昔の人は 医療が発展していなかったので 養生という考え方のもとに 日常のなかで 健康に良いものを 探したり言い伝えたりしていたと思います。

ハーブなどもそうですが、価格も効果だったり、良いもの、悪い物を見分けるのも難しい、 紅茶やワインなどの 普通の食品で うまくできるとはげしくなく

対処できそうです。

海外の旅先で ちょっと、様子を見たいときにも いい方法と思います。
ホテルの部屋で 紅茶ぐらいなら割と リーズナブルに頼めそうです。

本来は 普段から 免疫を高めるために 栄養や食事に気を付けていて 防げることが多いかもしれませんが ストレスの多い社会で 突然の 不調を何とか 対処できるような 知恵も また ひつようとおもいました。







たまにはクラシック―昔はポップ

日本はクラシック音楽が 肩の凝る つまらない音楽というように 思われがちです。

学校でも やたらに 今時のポップな音楽が 授業で 使われたり、必須科目の ダンスが エグザイルだとか。

今時の学生が 家にいないので 伝え聞くばかりですが、いい意味の教養として クラシック音楽は 広まっていないように 思えます。

わたしは 3歳で ピアノをはじめて 小学校6年まで 続けても ソナチネにしか 勧めなかった 才能のな~い 子供でしたが 、ピアノで 左右を覚えたくらい

クラシック音楽は なじんだものでした。

勿論、歌謡曲も(昭和そだちなので)、グループサウンズも フォークもききましたし、はじめて小遣いで買った レコードは ビートルズのレットイットビーでしたから いわゆるポップも好きだったのですが

自分の習っているお教室の先輩の音大生などが ショパンなどを弾くと

格別に脳の違う部分が 反応したように思いました。

よく、小さい子供に ヘッドフォンで クラシックの名曲を聴かせると涙を

流すという話も 聞いたりします。

そんな名曲たち、ベートーベンや モーツァルトとか いろいろありますが昔は

とても あたらしい音楽だったのです。

そんな作曲家たちが 出るまえは 音楽は 宗教的なものしかなく

民謡とか小さい規模のものは あったかもしれませんが 多くの人たちが コンサートで聞くというようなことは 近代のことと思います。

宗教音楽は 庶民を 教会などに集めるために 作られていましたし、歌劇なども

多くは 階級社会だったころの 上流の楽しみのものであったようです。

今のように、どんなものでも誰でも聞けるのは 昔から かんがえれば とても

自由なことでしょう。

ヨーロッパは 文化を 楽しむことが しやすい 環境で コンサートも 多く、

やすい価格で入場できたり、子供も小さいころから 連れていくようです。

モーツアルトなどは 本人の時代では 今の先進ポップのように 扱われていたのですから、それを おもえば もっと たのしんで 聞けるのではないのでしょうか。

音楽は 音を楽しむと書きますが その字の通り素直に音を聞いて 居るだけで 良いのです。難しいとか かんがえず、音に ひたって みたら 自分の中で なにか 反応するものが あるかもしれません。

今日は 東京芸術劇場で東京ニューシティ―管弦楽団のコンサートに行ってきました。

最近は 音楽を聴くことが少なく、友人の参加するアマチュア中心の オーケストラとかを聞きに行くことが多く、久しぶりの プロのオーケストラでした。

ベートーベンの コリオランの序曲と シベリウスのシンフォニー第2番、と一番よかったのは 真ん中のラフマニノフのピアノコンチェルト第2番でした。

ベートーベンの最中から 不思議な音は感じていましたが コンチェルトでは 驚き。

ピアニストの干野宣大さんの 演奏も 素敵でしたが 特筆すべきだったのは その楽器。

亡くなったホロウィッツの 恋したピアノと称する、ニューヨークヴィンテージのスタインウェイのグランドピアノ。

以前、ドイツのベーゼンドルファーというのを聞いたことがあって あまりよくわからなかったのですが、今回は 驚きでした。

ある意味、魔的な感じといえるかもしれない。

低音部の響きが 深海から聞こえてくるような 妖しい響きがあるのです。

時代が時代だったら悪魔付きといわれそうな 宗教裁判されてしまいそうな いぶし銀の音。

高音も軽やかなんだけど 天からの音というより 妖精に笑われそうな 魅了されそうな音。

ピアノの楽器でこんなに おとが 違うなんて 実に実に 驚きました。

楽器は バイオリンのストラディバリウスがいいとか チェロの何とかとか

管でも良しあしがあるらしいですが ピアノのような大物のまして ブランドのスタインウェイの中でもいろいろ、あるとは思いませんでした。

拍手も鳴りやまず、演奏会中盤なのにも かかわらず ラフマニノフを 干野さんが 一人でアンコール演奏なさってその時の しんとしたホールの中に ながれた曲が 今日の超お得演奏と思っては 失礼でしょうか。

怖いばかりの滑らかさと、響きは 忘れられない経験でした。

東京ニューシティ管弦楽団の定期演奏会でしたが 琴線に 響く経験ができて

よい会でした。

たまの ライブのコンサートは やはり 演奏する方の積み重ねた思いが ときはなたれて 音楽と一緒に 迫ってきます。

どんなにCDが良くなっても こえるものが あります。

是非、機会があったら 演奏会にお出かけください。

でも 一つだけ 気になることが。

男性は 演奏者も指揮者も全員、燕尾服。

女性もブラックフォーマルで 演奏なさっていましたのに、オーディエンスのなかには、 ジーンズの方が ちらほら。

勿論、土曜の昼間ですから、大げさなことは 言いませんが やはり 演奏する方たちが最高の礼装なのだから、せめて もう少しきをつかって聞かせていただく方も礼を失しない服装にしたいなと思います。

わたしも別にスーツやワンピースなど着ていきませんでしたが 燕尾服をみて もう少しアップすればよかったと後悔中です。

ニットにギャザースカートでしたが。

服装のフォーマル度は 相手に対する 礼儀だということを 今の日本は 感じなくなっていますけれど、 ちょっと 大人感覚で 居たいと 反省です。

 



 

品よくサバイバルに子育てー子育ては生物学的ミッション

最近も児童虐待の数が 増えていくばかりという報道が ありました。

少子化で 子供が増えないのが 人口減で大変だと騒ぐわりには 子育てが きっちりなされるようにかんがえている大人が あまり見当たらないようにも感じます。

少ないなら少ないで きっちり ちゃんとした大人を クオリティ高く育てないと

だめなのではないかなといつも思います。

なのに、教育に対する政府などの関心は 口ばかりですから やはり 親や保護者となる大人の 自覚が 必要です。

せっかく苦労して 作ったり(!)痛い目をみて この世につれてきた 子供が いい加減に育ったら なんだか もったいないとおもいませんか。

人間も生物ですから 生物学的にもよい子孫をのこして 種の繁栄に 参加するのは 本質的な ミッションです。

でも 他の生物よりは社会化されたので 全員が 無理やり子孫を作らなくてもよい 選べるほかの生物とは 違った 世界になっていると思います。

だからこそ、 できた子孫は 大事なんじゃないでしょうか。

先月あたりに NHKのもと 歌のお兄さんだった方が 出した 歌が お母さんに我慢を強いるといって 批判やら意見やら飛び交いました。

お父さんだからなる歌が出たりもしました。

でも、これは 根本的に おかしいですと私は感じます。

お母さんだから お父さんだから おかずを分けてあげるのとか、マニキュア我慢とか そういった レベルの話でしたが

なんで 子供と同じ土俵で 自分のしたいことができないと 不満に 思っていたのでは 親というよりきょうだいのようです。

よく、きょうだいで お兄さんだから譲ってとか言うあの感じです。

子育てなら もっと高台からみてほしい。

もし 子供が おかずをもっと欲しいからお母さんの頂戴と言ったら

その子にそのおかずが 必要かどうか 考えて決めるのが 育てる立場の かんがえかた。

もし、いま 必要なければ あなたは もう、しっかり食べているから これはいらないと思うから あげないわといってもいいでしょう。

いじわるーといわれても ちゃんとかんがえてのことなら

別にいじわるでもなんでも ないでしょう。

某芸能人の方の叱らない子育てを受けた お子さんでしたら いやだーと

なきわめくかもしれません。

そんな羽目になって 周りの大人が 不快に思ったり 親自身だって 腹を立ててしまって 虐待といわれる行為をしたくなってしまうかもしれない。

ですから 小さいいころからの 訓練が 大事なんです。

この世の中 すべてに思い通りに行くことばかりでは ないことは 生まれた瞬間から 始まっているのです。

ぜひ、冷静にかんがえて よく 行き届いた 訓練をしてあげてください。

レストランや電車やスーパーで泣きわめいても 子供にはなんの得なこともありません。

しつけに手を抜くということは いわゆるKY な人を育てていることに他ならないのです。

本人も周りも 楽しくなれない、態度のこどもを 叱るとかわいそうだからとか、まだ小さいからとか いうことをいっていることこそかわいそうな事態です。

子育ては きちんとした大人を 育てるミッション―使命または 仕事と考えて むきあって 行くことが 未来や 社会に貢献できることになるのです。

専業主婦だってちゃんとどころか おおきく社会に貢献できてます。

こんな大げさなことに かんがえたくなかったら 普通に かわいいよいこと暮らすのが 楽しいでしょうと 思ってください。

ちょっと 気を使って小さいうちに 大人の導きたいほうに 子供を 向ける癖をつけましょう。

やんちゃなこも 勿論いるでしょうけれど、大人の意思は きっちり 伝えること。

うちも下の女の子がとても やんちゃで 強い子でしたが かなりのエネルギーで こちらの 意思を伝えてきました。

でも 正しくできれば 本人が おとなになって らくに世間を渡れるし、そこに 気が付きます。

完成がいつかもわからないし、成果も認識できないかもしれないけど

まっすぐ、むきあって 生物だしと 腹を据えてもいいとおもいます。

今日は 友人の演奏するアマチュアオーケストラの 演奏会へ行ってきましたが

前の座席に 小学校低学年くらいの きちんとよそ行きを着た お嬢さんが スーツを決めた お父様らしい方につれられて はいってきました。

2時間ほどのコンサート中、ちょっと、疲れたらしくもそもそしたり、手を上に伸ばして しまって 大人が ちょっと、耳元に ささやいて優しく手をおさえて

そのあとは静かにちゃんと座っていました。

子供には 難解な弦楽合奏ですし、2時間は 結構長いのに うろうろすることもなく しつけの行き届いた ご家庭が 伺われました。

終っても 文句も言わないし、きっと なれているのでしょう。

子供でも そういう場面で 我慢ができます。

させるかさせないかという 大人側の問題なのです。

子育ては 大人が まず 自分の立ち位置を 確認しながら続けていかなければ ならないことと 心のメモに書いておくのが 必要ですね。





太った猫との暮らし方―遺伝子の故か雄2匹は扱いに技術が必要

もうすぐ 人生折り返しを迎える 自分が 殆どの時間猫と 一緒の暮らしだったにもかかわらず、まだ 新たに知恵を絞る展開になろうとは。

ある意味猫飼いは 奥が深いといえますね。

今までの 猫たちには なかった おしっこトラブルも 防波堤のような 背の高いトイレ箱の壁をも こえて 飛ばせる 尿かけの 技術といい、容疑の 認定のむずかしい縄張り争いの 痕跡つくりとか いやいや なかなかな 連中です。

結局 容疑をかためるのが難しいので 房にこもってもらったり 思っていたのとは 違う展開に なっています。

そこで 新たにおためしで ちぎり紙でなく 元のペレット砂に トイレを戻してみました。

すると ふんふん、下に穴掘って埋める感じですから遠くい飛んでいくことが なくなりました。この方向付けを つづけて また紙に もどせたらよいのですが。

そして 2匹の大猫なので 作品もりっぱ。

トイレも汚れやすく 留守をお願いするシッターさんに 砂タイプのほうが 扱いやすいとの お申し出も受けてしまいましたので 留守中も砂タイプ必須。

以前、一頭の時は シッティングも 2日に一遍でも間に合いましたのに、そこも 無理のようです。

そこで 今まで ふと猫の 扱いについて 書いてきて 安く お金をかけずに できるという やり方に 一言加えなければならないと思いました。

安くあげるには 多頭かいは難しいという 当たり前といえば 当たり前のことです。

けれど 子猫のころから 紙の上でトイレをしつければ 砂は いらないかもしれない、ともいえます。

少なくとも 保護ネコの成猫を もらったり、複数の雄をうけいれたりするばあいは やや、知恵者とならねばならないと 新たにお伝えしたいと思います。

人間の子供でも おむつの取れるのが 早いとか 遅いとか ありますように

猫でも 上手に 自分の シチュエーションに 合わせていくのには 工夫も技術も 居るということですね。

少なくとも 猫は 決まった場所で 用を足す 習癖を持っているので 訓練の階はあると思います。

うちでは 今後 暖かくなって こたつをしまって 夜も解放した時に

縄張り争いの行方が どうなるかというのが また挑戦する事項になります。

まったく、布団がなければ 平気かもしれませんが。

それにしても久しぶりに 砂のしまつなどして いまの砂はいいなと感心もしています。

私が 子供のころの 猫のトイレは 本当の 砂を使っていて 天気の良い日に外に出して 干したりなどしたものでした。

外遊びも 行かせられた時代ですから どこかで 用を足してきていたので そんなに トイレ掃除が 必要なこともありませんでした。

23区内でも都下に近い地域ですので  畑も ありましたし。

猫ドアもありませんでしたから 台所の裏の 勝手口の扉の下を 四角くきって そこから 出入りしたりしていました。

泥んこ足で 帰ってくるとつかまえて 洗ったりしたり、とった鳥や トカゲなどを持ち込んできて 朝、びっくりしたり。

猫たちにとっては 楽しく いい時代だったですね。

今のように 室内で 鳥は みるだけになっては 野生は 影を潜めていくばかりですが 小春日和の先週に 小さい虫が飛んでいるのに 大喜びしておいかけていましたから 小さくは 野生を 発揮させてやれたようです。

夏になってGが でたら さぞかしよろこぶことでしょう。

待ち遠しいですね。






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