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子供を上等に育てるポイント

品よくサバイバルに子育て―男子を人類に育てる意志

男女雇用機会均等法だので一応政府も男女の扱いを建前では 差別をなくしている最近です。

でも、とある新聞記事をよんだとき、女性が一人前として認められたのは 戦後ではないかといっている方がいらしてびっくり。

イギリスもずいぶん長く女性は 権利を認められなかったけれど 日本は さらにおそいんですね。そして、男性の心の中では まだ認めてない人もいると思います。

今頃の戦後のベビーブーマーの方でも 女性は家庭をやさしく守るのが あっているなどどいう人もいるんです。

ひとによっていろいろ意見はありますからいいですが、それでは 視野も視点もかわらない。

人間の進化は遅くなりますね。

男女半数とよく言われますが 実際は 男性のほうが少ないかもしれない。

男の子は 育ちにくいので。

でも、世界では 人間が哺乳類の1種だけでなく人類という文化を持ったほかの、生き物とは 違うものとするための教育が なされているところが多くあるはずです。

人類は 昔は 雄が狩りに出て、獲物を持ち帰る生活をしていました。

力などがおとったと思われる雌は、繁殖後の子育てもありますし,巣(家)にいたわけですよね。

ですから男子は多くのことをいっぺんにせずに集中して 獲物を追うことに

長けている遺伝子を持っているといわれています。

雌は いろいろなことを いっぺんにすることができるらしいです。

そんな、生物学的違いを 強制して 人類らしい文明のある社会を構成するようにそだてて、今の文明社会があると思うのです。

ですから、生まれたばかりの新生児は まだ、真っ白の哺乳類的人間です。

そこから、親が責任もって 文明的人類に育てなければならないのですが 男女同権だし不公平性はなくしたいのですが やはり遺伝子的なことは 気を付けなければならないと感じています。

よくある、児童虐待の果ての殺人事件では 継父が手を下すことが おおいのではないでしょうか。

家庭環境や経済環境や原因はそれはそれはたくさんあるとは思いますが、

クマやライオンなどの動物が 雌の連れているほかの雄の血を引く子供を 殺すドキュメントなどを見ると、人間もまだそんな 本能が残っているのではと思ってしまいます。

だいたい、自分の血を引く子供のほうを大事にしている、パターンです。

犯罪としては悲惨ですし、許せないことですが これは 本能のいたずらもあるのではないでしょうか。

やはり、まだ 進化しきっていない人類の遺伝子の底にあるものを 教育で 抑えていかなくてはならないとおもいます。

女子でも勿論、必要ですが 男子は 自分の遺伝子を残すことが 生物の本来の姿ということが まだしみこんでいるのではないでしょうか。

もしくは何かの原因で 先祖帰りとか?

どちらにしても、この子供の少ないときに 個々を大事に クオリティの高い育て方をしない限り それこそ国の先行きが心配になるくらいです。

西欧諸国では レディーファーストが当たり前です。

これは やはり、遺伝子の中のものを抑えているのではないでしょうか。

アラブなどでも へジャブ問題とかはありますが見方を変えると 遺伝子の行動を恐れてそんな 守り方をしているのではとみる見方もあります。

やり方が良いか、悪いかは別ですが、やはり 男子の生物学的遺伝子に配慮した 教育も考えてした方が良いとおもいます。

男の子ばっかり厳しくするのはどうかとか思う見方もあるとは思いますが まだ 人間は性別的に 教育の仕方を かんがえなくてはならない部分はあると思います。

私は 男女とも育てましたが、明らかに違いがあるのです。個人としてではなく

性別的違いは明らかにあります。

大人が よく、みきわめて 公平な中に しっかりお互いの性を尊重して なおかつ遺伝子からの野性性をおさえてもらいたいではないですか。

女子だって問題はあります。自分の子を殺めてしまって平気な人もいます。

それはそれで、母性云々言いますが、母性は後から来るものです。

妊娠して出産したからといって 母性がいきなり生まれてはこなかったです。

よそ様はどうかしりませんが 少なくとも自分の体験はそうでした。

ですから、もし母性がないと心配している方がいらしたら 大丈夫です。

人間技とは思えないということばがよく言われますが 人類としては ありえないことでも生物的人間なら 行うこともあると 認識してほしいと思います。

過去に命短く世を去った子供たちや、今もどこかで 悲しい目にあっている子供たちは 日本といわず世界中にいますが ぜひ、次世代を育てるにあたって チャンと、文明に即した人類を育ててほしいと思います。
保護者の意志を固めなければなりません。

男女の本質をよく見極めることは大事です。





 

品よくサバイバルに子育て―子供の服大人の服よそ行き考

昭和の育ちの私が子供のころ、終末や出かけるときに

”よそ行きにきがえて”といわれることが 外出前には 必ずあったように思います。

別にパジャマやスェット上下とかで過ごしているわけではないのですが、

スモッキング刺繍の入ったワンピースとかが そのよそ行きに入っていて はくものもぱっちんどめと呼んでいた ストラップ付エナメルのメリージェーンタイプの靴。もちろんヒールはひくく、今でいうカッターシューズほどの高さのものです。

これらを 小学校卒業までくらいは ずっと使って居た覚えがあります。

まあ、動物園とか登山とか 山だの海だのなら またそれなりな格好になりますが、普通に デパートとか後は コンサートとか よそにお邪魔する場合などもこのスタイリングでした。

そのころ、テレビで はやっていた ”奥様は魔女”のオリジナルバージョンでは 主人公のサマンサが 外出時に手袋や帽子を つけている姿が 珍しくなかったようにおぼえています。

うちは 別に裕福でも何でもない サラリーマンの中流家庭でしたが 確実に大人も子供も よそ行きがありました。

いまの 普通の家庭より 服のもち数もすくなかったですが。

TPOという言葉も 今はあまり聞かないようです。

でも 当節 騒ぎになっている イギリス王室などの記事などを見ると 海外ではけっこう 気にされていることではあるのです。

日本は アメリカ文化に追従する傾向があるので ジーンズが流行れば それにならい、カジュアルウェアを 有名人が着れば それに倣い、というふうに どんどん、流れてきていていまは 総カジュアル時代のようです。

よそ行きが必要かどうかを ヤフー知恵袋に聞いている方への返答も 普段着とパジャマだけで らくにやっていますよというような方もいらっしゃるし、それはそれで リラックスできていいかもしれません。

ですが そういう生活でなくしたいとき、 就活でも、冠婚葬祭でも ここぞと 服で武装する場面に なったとき、急に 装っても

馬子にも衣裳、いわゆる 身につかない感がでてしまいます。

実際、親戚の子供で ずっと公立の学校で 過ごしてきて 中学生で中学生でしたが 葬式に急に出るのに ワイシャツも革靴もなく いそいで 買ったら 両方着慣れないし、あたっていたいとかで 困ったなどという場面もありました。

中学生なら公立でも制服とかあるところもありますが 、男子は 普通何れ ワイシャツにスーツになるので なれておいて 損はないのです。

きちんとした場面や 海外に旅行に行ったときなら、子供でもスーツにワイシャツにタイをしてもおかしくありません。

革靴だって なれなければ 痛いでしょう。

発表会で ステージに上がるのに スーツにスニーカーという子供も見かけますが

どちらかに合わせてほしいです。

スニーカーにするならカジュアルに、スーツならそれなりの靴もちろん合皮でも よいとおもいます。

コンサートなどもいまは 大人も子供も カジュアルで 行きますが

演奏者のために 服装の格を あげることを意識してないように思います。

演奏者が ブラックタイヤ 燕尾服を着るのは 冠婚葬祭と一緒で、 聞いてくださるお客様に 対する礼儀の表れなのです。聞く方も敬意をもってきくのが 良いとは思いませんか。

日本では 女の子は お洒落からドレスや 着物を着たりもしますし、やはり 切る場面も多いと思いますが 男女問わず、自分の服装に 気配りをもって 着こなせるほうが かっこいいのです。

日本の花嫁が ウェデイングドレスなどを 着ると身ごなしが 今一つで せっかくのドレス姿が 映えないときもあります。

ドレスは 日本人の体形には 似合いにくいような作りですが 胸を張って 背筋を伸ばして 着ると 素敵です。

膝を曲げて がくがく歩くことが お尻がつきだしてしまったりして かっこうがわるくなりますので 注意したいです。

すそさばきもちょっとコツはいりますが 結局は スカートさばきの延長です。

女性が、ほとんどパンツで 過ごす現代ですが スカートさばきを覚えるには やはり着なくてはなりません。

ドレスを着る機会の少ない日本社会ですが せめて よそ行きにスカートで 装って訓練をしてもいいと思います。

子供が幼稚園の年中さんのころ、一緒に出掛けた年長さんのお嬢さんが 電車の中で 据わるときごく自然にスカートを さっと自分の下に まっすぐ いれて 感心してお母さまにそう伝えたことがあります。

いわく、教えたことは ないけど スカートをはくことが多いからではをないかしらといっていました。

身ごなしをきれいにしたリ、服を着ることでもこれは もう積み重ねでしか 習得できません。

ちいさいころから かさねて 身に着けること、大人も 見本になることを こころがけたいものです。

ここでは 詳しく言いませんが 食事のマナーなども同じこと。

邱永漢という中国人の かたの エッセイにありました。

特に、女の子ですが どこにお嫁に行くかわからないのだから エリザベス女王と 食事しても恥ずかしくないマナーを 身につけさせるのは 親の責任というようなことを 書いていらっしゃいました。

さもありなんでしょうか。

実際、メーガン・マークルさんのような 芸能人では ありますが 一般人の方だって王室にお嫁に行くんですから。

今となっては どうなるかわかりませんが 日本の男性だって 小室氏のように

皇室のかたと 縁談になったりしましから、男の子だって気はぬけませんね。

らくに楽にカジュアルに 暮らすのもよし、でも私は らくに着こなせるカッコよさが いいなと思うのです。

今残念なのは 子供に似あう子供服が少ないこと。

遠くに小さい年齢の子供に似あうものと少女に似合う服がないと思います。

その時期にしか似合わない体系にも 子供の活動にも会う、大人のものを小さくしただけではない服が なかなかないようです。

海外の子供服のほうが 良い場合もありますが 体形などがちがったり しますので、 着られなかったりすることもありますし いがいと いま 子供服は難しい。

品の良い子供服が 少しでも残ってほしいとおもいます。







 

品よくサバイバルに子育て―子供を五月病からまもるために

連休もあけ、通常が戻ってきましたが連休もあけ、通常が戻ってきましたが
お天気だけ、季節が戻ったのか早めの梅雨にしたいのか不安定な空模様が続いています。
今年は 本当に、気候がいろいろで 花も早く咲いたり、遅れたり 人ばかりでなくみんなけっこう混乱状態な感じです。
こんな時は 子供でも大人でも 自立神経が おおいそがしで 体調不良になりやすい。
特にクラス替えや新入学、新入園などで 緊張していた気持ちに 疲れが出る子どです。
最初は皆、緊張していい意味で 興奮状態ですが、ずっとそんなことも 続きません。
いわゆる、5月病と大人などで言われることは 子供でもあると思います。
個人によって 環境になじむのには 時間のかかり方も違いますが 全体方式の会社や学校は お構いなく進んで いきます。
飲み込むのに時間のかかる子供が 勉強につまずき始めたり、友達関係で なやみはじめたり、特に一人の好きな子どもなどは 団体生活に 加わるのが 苦痛だったり。
それは様々です。
朝、でかけて 大人も子供も自分の属するところで いろいろなことにあって 疲れた気持ちと体を 帰ってきた家で リセットしなくてはなりません。
環境に与しやすく 楽しめる子供でも ちょっと心配な子でも よく観察することが大事です。
今は 働く親が多くて 落ち着いて夜や帰宅後の時間を過ごしたりできないので、
気分のケアが難しい時代ですね。
みんな 帰ってからのすることが忙しく 毎日過ごしてしまいそうです。
でも 子供を 守りたいのなら、 大人が 家庭内CIAとならなければなりません。
まず、スタンスとして、 家のなかで 子供が 同居人とならないようにすること。
部屋を与えても、それはあくまで 貸してあげていますとすることです。
だって、大人が用意した家ですからね。
子供の部屋に鍵などつけて 内側から かけてこもるなどは まったくのナンセンス。
子供の部屋に鍵は不要です。あくまで、成人するまでは 保護管理課にあり、何かのトラブルは 全て親の責任とするのですから いつでも、はいっていけるようにするべきと思います。
勿論、本人がいる場合は ノックは必要ですが
”私(ぼく)の部屋にはいらないで”を許すのは お勧めできません。
そして、つねに 部屋の中のものなども 観察しておくこと。
なにか、みつけても すぐとやかくいうのではなく情報としてためておくことです。
そして、 帰ってきたこどもたちに うるさくあれこれ聞くのも これまたおすすめできません。
ですが、これが 重要なのですが 子供の様子は よくよく、観察し、子供からの話は 全部まっすぐに聞いてやります。
なにか家事の最中でも できるだけ最優先で 話を聞きましょう。
やりながら、できることなら
”いまちょっと、これしながらきいてもいいかな”と尋ねてみてもいいとおもいます。
でも ほとんどのばあい、手を休めて聞いてあげるほうが いいとおもいます。
内容にもよりますので、そこは大人の判断で かえって 肩越しに聞いてやったほうが 良い場合もあります。
そして、何をするかというと その中から、子供の友人関係や 周りの環境や 疲れ具合などを かんじとって 情報として ためていかなければなりません。
よく、いじめなどの場合、わかりにくかったという大人もいますが、
子供だって プライドがありますから、
”わたし(ぼく)いじめらられているんだ”なんて いうことはないとおもいます。
こんなことを言えるのは まだ軽いうちか、よっぽ度のことか それもむずかしい判断になりますが あまりないことです。
子供たちだって ちゃんと学校や 園でできていて 大人に心配されたくないとおもっています。
そこを づかづか踏み込んで 聞いたりするのではなく いろいろな情報で 全容を 探っていくようなやり方が 良いと思います。
時には さりげない誘導尋問も必要かもしれません。
うちの子供も 下の女子が反抗期の高校生位のころやんちゃで オールナイトで連絡もなく帰ってこなかった時に ゴミ箱捜索で 跡をたどって いろいろ。策を講じて 連絡がついたことがあります。
もちろん、かえってから 父から大目玉食らってましたが。
でも、そうやって何か、行動をしたり、予測するためには 普段の子供もよく見ておかなければなりません。
わが子ですが 遺伝子は 夫婦から伝わった まったくの新しい一個人である子供ですから 思いもよらないことをするかもしれないとおもって よくよく 観察いいかたをかえれば、本当の意味の見守りをして しっかり、育てていきたいと思います。
親になるのには スパイ活動の技術だっているのです。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

品よくサバイバルに子育てー子育ては生物学的ミッション

最近も児童虐待の数が 増えていくばかりという報道が ありました。

少子化で 子供が増えないのが 人口減で大変だと騒ぐわりには 子育てが きっちりなされるようにかんがえている大人が あまり見当たらないようにも感じます。

少ないなら少ないで きっちり ちゃんとした大人を クオリティ高く育てないと

だめなのではないかなといつも思います。

なのに、教育に対する政府などの関心は 口ばかりですから やはり 親や保護者となる大人の 自覚が 必要です。

せっかく苦労して 作ったり(!)痛い目をみて この世につれてきた 子供が いい加減に育ったら なんだか もったいないとおもいませんか。

人間も生物ですから 生物学的にもよい子孫をのこして 種の繁栄に 参加するのは 本質的な ミッションです。

でも 他の生物よりは社会化されたので 全員が 無理やり子孫を作らなくてもよい 選べるほかの生物とは 違った 世界になっていると思います。

だからこそ、 できた子孫は 大事なんじゃないでしょうか。

先月あたりに NHKのもと 歌のお兄さんだった方が 出した 歌が お母さんに我慢を強いるといって 批判やら意見やら飛び交いました。

お父さんだからなる歌が出たりもしました。

でも、これは 根本的に おかしいですと私は感じます。

お母さんだから お父さんだから おかずを分けてあげるのとか、マニキュア我慢とか そういった レベルの話でしたが

なんで 子供と同じ土俵で 自分のしたいことができないと 不満に 思っていたのでは 親というよりきょうだいのようです。

よく、きょうだいで お兄さんだから譲ってとか言うあの感じです。

子育てなら もっと高台からみてほしい。

もし 子供が おかずをもっと欲しいからお母さんの頂戴と言ったら

その子にそのおかずが 必要かどうか 考えて決めるのが 育てる立場の かんがえかた。

もし、いま 必要なければ あなたは もう、しっかり食べているから これはいらないと思うから あげないわといってもいいでしょう。

いじわるーといわれても ちゃんとかんがえてのことなら

別にいじわるでもなんでも ないでしょう。

某芸能人の方の叱らない子育てを受けた お子さんでしたら いやだーと

なきわめくかもしれません。

そんな羽目になって 周りの大人が 不快に思ったり 親自身だって 腹を立ててしまって 虐待といわれる行為をしたくなってしまうかもしれない。

ですから 小さいいころからの 訓練が 大事なんです。

この世の中 すべてに思い通りに行くことばかりでは ないことは 生まれた瞬間から 始まっているのです。

ぜひ、冷静にかんがえて よく 行き届いた 訓練をしてあげてください。

レストランや電車やスーパーで泣きわめいても 子供にはなんの得なこともありません。

しつけに手を抜くということは いわゆるKY な人を育てていることに他ならないのです。

本人も周りも 楽しくなれない、態度のこどもを 叱るとかわいそうだからとか、まだ小さいからとか いうことをいっていることこそかわいそうな事態です。

子育ては きちんとした大人を 育てるミッション―使命または 仕事と考えて むきあって 行くことが 未来や 社会に貢献できることになるのです。

専業主婦だってちゃんとどころか おおきく社会に貢献できてます。

こんな大げさなことに かんがえたくなかったら 普通に かわいいよいこと暮らすのが 楽しいでしょうと 思ってください。

ちょっと 気を使って小さいうちに 大人の導きたいほうに 子供を 向ける癖をつけましょう。

やんちゃなこも 勿論いるでしょうけれど、大人の意思は きっちり 伝えること。

うちも下の女の子がとても やんちゃで 強い子でしたが かなりのエネルギーで こちらの 意思を伝えてきました。

でも 正しくできれば 本人が おとなになって らくに世間を渡れるし、そこに 気が付きます。

完成がいつかもわからないし、成果も認識できないかもしれないけど

まっすぐ、むきあって 生物だしと 腹を据えてもいいとおもいます。

今日は 友人の演奏するアマチュアオーケストラの 演奏会へ行ってきましたが

前の座席に 小学校低学年くらいの きちんとよそ行きを着た お嬢さんが スーツを決めた お父様らしい方につれられて はいってきました。

2時間ほどのコンサート中、ちょっと、疲れたらしくもそもそしたり、手を上に伸ばして しまって 大人が ちょっと、耳元に ささやいて優しく手をおさえて

そのあとは静かにちゃんと座っていました。

子供には 難解な弦楽合奏ですし、2時間は 結構長いのに うろうろすることもなく しつけの行き届いた ご家庭が 伺われました。

終っても 文句も言わないし、きっと なれているのでしょう。

子供でも そういう場面で 我慢ができます。

させるかさせないかという 大人側の問題なのです。

子育ては 大人が まず 自分の立ち位置を 確認しながら続けていかなければ ならないことと 心のメモに書いておくのが 必要ですね。





品よくサバイバルに子育て―読み聞かせと本好き

電子書籍が あらわれて 街の本屋が へって ニュースになったりしました。

私自身は 無類の本好きなので 本屋が 消えるなど考えられない。

電子書籍も ためしましたが なんだかしっくりこず、結局最近は 紙のほうに

戻っています。

社会全体が インターネットの登場で いわゆる電子機器に すべて かたむいて テレビもラジオも 変わってきています。

街なかの カフェなどで 小さいベビーカーのお子さんに スマホを 持たせて 子守させている方もよく見かけます。

子供ようの アプリもたくさんあります。

私が子育てしていたころは テレビゲームとか ゲームボーイとかがではじめ、

コンピューターゲームというジャンルで 子供が 触れ始めたころでした。

専制君主の家庭内仕切り役の 私は ロシア並みの メディア管理を しておりまして 、漫画本なども 私の 検閲を通ったものしか 家に持ち込ませないと 決めていましたし、もちろん いわゆる ゲームなどは 御法度でした。

子供の 友人の親御さんから ゲームでもさせておかないと コンピューターに 弱くなるとか言われましたけれど そんなことは ありませんでした。

ふたりとも 海外留学やインタナショナルスクールで PC使って勉強し、今も何ら不自由はありません。

そのような 都市伝説じみた ことが 子育ての中でも あると思います。

子供を 寝かしつけるときに する読み聞かせ。

こちらも 効果やら いろいろといわれております。

親子で 同じ世界観を 共有できるとかとおっしゃる方もいらっしゃいますし

親この 大事な時間とか とも聞きます。

実際、ご家庭で いろりいろの 思いを 持ってなさっているでしょう。

でも この読み聞かせで 本の好きな子供が できると思っておいでだったら ちょっと 方向性が 違うと 思うのです。

本を読むということは その本の世界を 自分で構築する 力を 要します。

自分で 感じた音 、想像した色、自分で 描いたキャラクターとか 自分のなかで つくっていって はじめて その世界を把握して 入っていけると思います。

うちでは サービスとしての よみきかせは 少ししましたが 基本、 一人で しっかり寝るのが 子供の 今の使命というスタンスですから、寝付くまでとかは していません。

寝る時ではなく 他の 時間に 相手をすることとして 山のように 読んでやっていました。そして 本人にも 字のないえほんからはじまって 自分で見るように させました。

福音館の子供の友という 月間の 良い絵本が内容もよく 薄くて安価なので シリーズ購読して 駕籠にたくさんいれておいて 好きに読ませましたし、外出時も 必ず たずさえて 読んでもらいました。

字が読めなくても ずっと それで 静かにできるのです。

読んで聞かせるときも 求められるままに 薄いので 多い時は 40冊も 読みました。

同じものを 何度も何度も 読んだこともあります。

このような 読み聞かせなら 子供が 本の世界に 入っていけると思います。

自分が 小さいころから 本好きで そんなに本ばかり読んでは 眼が悪くなるとか いわれていましたが 実際、両親から読み聞かせてもらったことはありません。

昭和の二ケタ後半の両親で 母は専業主婦でしたが 忙しく家事をしていましたし、子供の相手をする云々が いわれていませんでしたし。

でも 両親は 家で よく本や新聞を読んでいました。

本を読むのがあたりまえの 家の中でした。

いまは スマホや PCやテレビが全盛で 大人自体も 本を読む人が減っているようです。

多分、楽しさを 得ることができないのかもしれません。

日本語というのは 文字の種類が おおく、ある意味とても ヴィジュアル感 のある言葉です。

はなと花と華では 同じ発音でも 違う画像が うかびませんか?

これは あくまで 眼から見た情報が 脳の中で 画像イメージとしてできてくるものです。

ですから 思い浮かぶものは ひとによってはちがうわけで それぞれの イメージ世界があるわけです。

このイメージ世界が 豊富に浮かべば浮かぶほど 本などを 楽しむ技が身につくのです。

そして それは 国語力の源泉となりえると思います。

決して地を速く読めるようにさせることを お勧めしているわけではないので 間違えずにいていただきたいのですが イメージを作れる経験を たくさんすることで 磨かれる能力が 勉強や コミュニケーション能力なども 培ってくれると思います。

塾に行ったり 幼児教室で 学べることではありません。

本という身近な ものを 子育ての大きな 味方に することができるのです。

そして クオリティの良い本を 選んでやれるように。

推薦図書とかが 決していいわけでもありません。ここは 大人が 知力を 駆使してください。まるで 自信ない方は 福音館の母の友などが 参考になるかもしれません。今の日本の教育は 机の上の試験勉強だけで 本当の知的教養を 養う力は なさそうです。

おとなになり、社会にでて 世界で 通用するのは 試験勉強ではなく 身についた教養であると思います。

教養はありすぎて困ることはありませんが 急につけることは できません。

小さいうちから 家の中で 大人がルールをつくったり こまかく気配りを することで 自然と 良い方向へ 導いてやりたいものです。

私の家のなかでも それは いろいろ 失敗もあったと思いますが してよかったと 思えることも たくさんあります。

大人になった、子供から 自分が子育てするときも 同じように すると思うと いわれたのは 成功したところもあった 証拠と思えるのです。

”坂道のリンゴ”である子供が 転がる方向を決めるのは もしくは 転がらないようにできるのは 大人です。

 




 




品よくサバイバルに子育て―時間に余裕を持たせる行動先読みの力

女性が 社会進出する社会とか言われるようになって だいぶたちます。

保育所にはいれない親子が 行政の大問題になったりしています。

家で 子供をしっかり丁寧に育てることは 社会に貢献することと みなされないことが 私には疑問です。

働き手が 足りないだけでなく 女性ならではの力を家以外でも発揮してほしいというなら それは それで 仕方の無いことかもしれませんが

子育てしながら 家にいると 取り残されたように感じる女性が 多くいるようで

ぜひぜひ、子育ても 家事も 社会を支える重要な仕事、仕事どころか たてものでいえば 基礎であることを  認識してほしいです。

このむくわれないような 毎日が 未来の本当の下支えと なるのですから。

そして 報われないものだったとしないためにも しっかり成果を あげていきましょう。

人間の子供は 大人になるのに時間がかかるから 大変ですけれどね。

そして そんな忙しい 生活で 子供たちを急がせなければならないことが たくさん出てきていると思います。

平日は 保育園に連れていくとか 学校に出すとか 休日でも忙しく外出したり 稽古事や 塾にも行くでしょう。

ぐずぐずしている 子供に 毎日早く早くと せかして つい、置いていくとか そんなにぐずぐずするなら 行かせないとか言ったりもしてしまいます。

私も 上の息子が とってものんびりした人で 行動を起こしてもらうのに 苦労しました。

周りにもゆっくりな おこさんがいて 待ち合わせなどの 時など 服を着ながらくるとか、通園の途中 パンをかじりながら移動したりしている方もいました。

もし、自分が 忙しい生活の人間であるなら 子供が小さいころから きっちり 計算して 行動するのが大事です。

息子の場合で言えば とにかくゆっくりなので まずあさ

わさわさしないように 寝る前に天気予報をチェックして 翌朝の着るものは 靴下に至るまで 親子で 決めておきます。

もちものチェックはもちろんです。

学校に持っていくのに必要なものを もし朝思い出しても ルーティーンなことが すべて用意されていれば 少しよゆうがでますね。

そして 何が何でも 夜は 子供時間に寝てもらいます。

成長のためにも良いですし、朝のめざめもいいです。

そして その寝る時間も 自分たち大人が おきてもらいたい時間を 計算してきっちり決めるのです。

それでも 眠たがりの子供でしたら 朝、よんでも 返事ばかりで なかなかおきてこないこともありますから その時間も計算します。

勿論 食事の時間は 絶対に 譲らずに計算します。

もし食べるのがゆっくりでしたら その時間も計算します。

早起きするのが 大変だとこぼされたら じゃあ、もう少し早く食べられると もう少し遅く起きられるかもしれないと 相談します。

勿論、食事中の テレビ、ラジオは 消しておきます。

これは 他の食事中も必ず 守りたいことです。

もし、勝手に部屋で 夜更かしして 朝起きるのが遅れて 学校に間に合わないと 泣き言を言っても 食事は絶対食べてもらいます。

少なくともうちはそうでした。

本人には 私は あなたに食事をきちんとあたえる義務があり、必要と思われる栄養は 必ず取ってほしいから 私が 食べるように 用意したものは 私が 許可しない限り 全部食べてもらいますと いつも申し渡しました。

これも 他の食事の時も一緒ですね。

うちは私立に通っていましたので バスと電車を乗り継ぎ あわせて 1時間はかかるところに 小学校から 通っていましたから、交通の 不都合の予想も計算に入れました。

そういう習慣を きっちりつけさせることが 子育ての大事なポイントなのです。

高度な社会に暮らす 人類は 時間に縛られて暮らすことからは 逃げられないので ちいさいころから 時間の感覚と 余裕を持つことの 大切さをおしえるのは 抑えるべきポイントです。

余裕を持って暮らしておくと 多少朝 せかしたりしても きちんと身支度もスムースに、準備の整った ある意味一日に対する臨戦態勢の整った 人になって 活動開始ができるのです。

私は 自分が 子供のころ とてもとても のんびりで 手のかかる子供でしたから、親は苦労したと思います。

遅まきながら、ゆえあって 入学した私立の 中学から短大までの 一貫教育の学校が そういうことに とても厳しくて きっちりした 教育をうけたおかげで このようなことを 思える人になれました。

学生のころは 大変で大変で とても苦労の多い連続でしたが 大人になってからは おかげでいろいろなことが とても 苦にならずにできます。

若いころの苦労は買ってでもせよとはこういうことと思います。ですから それなら もっと小さいころから 習慣づければ もっと楽だということです。

子育ての中で しつけといわれていることのいくつかは 実は 訓練のようなものです。ちょうどいい時期に きっちり 訓練を施してやれば 一生役に立つことを 身につけられます。

街の中で 早くしないとおいていくとか 叱られている子供をよく見かけますが 実際、置いてい行くことなど できないことですし そんな脅しで 子供を動かすのもあまりみよいものではないものです。

何だか のりの悪い外出などで 子供がぐずぐずしそうなときは よくはなしてきかせてみて 我慢させましょう。

我慢することも 訓練です。

あとで 見返りの楽しみで なにか 考えてもいいですが そんなことを引き換えに 釣るのは良くないですから、大人の心の中で 用意しておけばよいのです。

忙しい、忙しい 毎日に引きずり回されず 自分で時間を 管理していくのは ずいぶん上質な 生活にできると思います。

工夫と検討は 家庭内総務の業務として 良い成果を出せますように。

上等な大人になる努力とつくる努力は し甲斐があります。





品よくサバイバルに子育て―子供の時から上品さを求める意味

早いもので お正月も開けようとしております。

2018年も 平和に過ごしたいと 年初、誰もが願います。

けれども 今の世界は 個人主義が台頭して 経済の資本主義とあいまって

なかなか、シビアな世の中になっていると ますます感じます。

今までも こそだてについて 私のつたない思いを 書いてきました。

あくまで、私が 二人しか育てていないことについてですし、 保育の専門的な勉強や 児童心理学を学んだわけでもないものの 体験談としての 記事ですが

どこかで どなたかが 共感くださって お役に立てることを 願っているのです。

最近では 上品、下品ということは あまり いわれなくなってきましたが 人が 社会で 生きていく上で 大事なことと私は 思っています。

周りを見回すと テレビもマスコミも インターネットでも 品が同行なんて 誰も気にしていないようです。

でも たとえば イギリスの キャサリン妃などの ことで 書かれている記事などを見ますと 例えば 服装なども ふさわしい品のある装いを 求められると書かれてあります。

そこから、あちらの ウィリアム王子御一家の さわやかな きちんとしたスタイルが  出来上がってきます。

どうでしょう。世界中のほとんどの人が 好感を 抱きますよね。

ひところ、韓流が はやったころの ペ・ヨンジュンなども すっきりした品の良い俳優さんで、日本のおばさまの心を わしづかみにしました。

逆に ビートたけしのように 下品さで 売りにした人もいます。

これも人気はありますね。

この 品のあるなしは 生まれたときには 関係のない物です。

そして 生物的にも 余り関係がないですね。生きる力や 繁殖力の強弱が 生物の力ですから、それよりも この 人間の大人の社会に入ってきたときに 関係することと、思います。

ですから、 素のままのあかちゃんで うまれた 子供たちが うまく 大人としてやっていくのに 大事な ことの一つと 感じています。

そして、それを 身につけさせるには 親でもそうでなくても 身近な大人が 気を使う必要があるということなのです。

学校は 勉強を習うところと思ってほしい。

よく、集団生活、云々、言いますが 集団生活で 何を 覚えるのでしょう。

今の学校では あまり良い影響を 与えられないように思います。

先生と生徒の間が 近いような 、親が顔を突っ込みすぎるような、口の立つ子だけが 得をしてしまうような 集団生活の場面が 多そうです。

ちょっと、伺った話では 勉強の遅れたこや じっとしていられない子供の世話に先生は おわれて ちゃんとできる子まで 手が回らないとか。小学校5年生くらいでもです。

先生方には 本当にお気の毒です。

子供は ちゃんと学校を勉強するところと おもって育ってきているでしょうか。

楽しければいいという方も多くいらっしゃいますが おとなになれば 楽しいことばかりではないのです。

まず、おうちが 家庭という一つの集団であると思います。

そこで 子供をどう育てていくか 大人として親が 気にしてほしいのです。

いまは 働く大人ばかりになって 時間に追われて わさわさ暮らしていることが多い、ですが 子育てしているときは 自分たちを見直して 子供の方向を決める責任に 向かっていくのが いいと思います。

余裕と知識をもって 忙しくても 品のある行動を とる大人でいる努力を して 子供に対していけば その 品が 相手に根付いていってくれると信じて 来ました。

身についた品性は 一生取れません。

逆に後からつけようと思っても 可能かどうかもわかりません。

どうせなら、白いままの赤ちゃんの頃から 習慣づけていけば しっかり入るのではないでしょうか。

子供は 坂道に 置いたリンゴのようなもの。

下に向かった落としてしまうと 果てしなく、落ちていきます。

上に向けることを 考え、押し上げていかないと 大変です。

うちなども、反抗期に 男女とも 危機を迎えました。

でも、小さいころから 頑張ってきた 成果と投資の結果は 出ていると思っています。

周りに、巻かれるのではなく、自分で 道を切り開くようにも 仕向けてきましたので 自分で 人生開く人たちばかりで、 親には大人になって 相談はしてきません。

大学も就職も転職も家を買うことですら 自分たちでやっています。

おかげで 心配ですが、楽させてもらっています。

ちいさいころから、叱ることも遠慮なしに叱りましたし、家のルールもうるさく締め上げました、でも 反抗期でも うまく、ぶつかり乍ら 収めてきたことで とりあえず、社会にあった 大人にできたと思います。

かわいくて、叱れなかったり、皆と一緒にさせてやりたくて、いいなりにはやりのものを 買ったり、着せたりすることは その時は トラブルのない仲良し親子で 居られると思いますが 先行き、よその人には 叱られることもありますし、みんなと、ずっと、同じことばかりは していられないのです。

親になるのは本当に大変なことで、 まずは 身を削って 育てなければならないし、生まれたら人間として 育てなければならない。

でも まじめにむきあって そのなかでも 楽しみながら おとなとして よい大人に育てるつもりで していただきたいと 願います。

品のある子供を そだてて 品のある日本人が 世界で 感心されるよウニ、したいものです。まず、大人が 自分のことも 考えなくてはなりません。

努力だけでもないよりましです。

自戒も込めて。





品よくサバイバルに子育て―育てたい個人力と調和力

日本の政府の政策のせいかどうか 定かではありませんが

子供の出生率は上がりませんし、子育ては大変という声ばかり聞こえてきます。

私も、中世の田舎とかが 舞台の小説などを読むと こんな複雑でないあっさりとした環境で 子どもを育てたら らくだろうなと 思ったりしたこともありましたが それはそれで 不便だし 病気とか 不便なこともあるし まあ良しあしとないものねだりに自分が 笑えてしまったこともあります。

どうしたって 自分のいる時代の中でよりよく 楽しくする努力をしなくてはならないのです。

海外の子育て環境は いろいろ うらやましいところがありますが 今すぐ 変えていくことが 無理な 日本に住む私たちは 自助努力を強いられているのです。

でも それでも 意欲をもって 子供を もったご家庭の皆さまにエールをおくり より良い道を 探して 未来からのあずかりものの 子供たちを上手に 育てていきましょう。

それにしても そろそろ 産まれたとたんに 国民として国が 育てる責任を もってほしいですね。

海外では教育を子供に 国が 責任もって施すのは 珍しいことではないのです。

先進国は 勿論ですが カンボジアやモロッコなども 教育費は無料と 聞きました。

人的資産に重きを置くシンガポールのような 国もありますしね。

アメリカなどは 良い教育が とてもお金がかかる 日本と似たシステムなので 教育の行き届かない悪影響を 心配している人も多くいますし、高い学生ローンで 若者が 大変な思いをしているそうです。

では原点にもどって 家庭では どうしたらいいでしょう。

重ねて行ってきましたが たくさんの子供を持てない日本人としては 少数精鋭の

丁寧な 育て方が 大事なことと思います。

そして 今は 誰もが 働いて小さいころから 保育園とかの団体生活にいれてしまいますが、その中で 皆でお利口にしているように仕向けるのでは どうかと思うのです。

そのまま 学校に上がれば みんなと なんでも 一緒にできて いい子と みとめてもらえますよね。

でも 人は 全員違うのが 当たり前なのです。

みんなと一緒にできない子は いい子になれないのは それこそよくないことと 気を付けてほしいのです。

そこに 気配りのない学校生活になじみにくいこどもが いじめられたり不登校になりやすいのではと思います。

学校は みんなが一緒でないと 困りますよね。

ですから 何でもかんでも 合わせられないのは 困りますが なんでも一緒と なっては 個性も才能も育ちません。

食事一つでも 小さいころは 遅い子も早い子も いろいろいるんです。

保育園では 先生も忙しいので じかんがきまっいて ゆっくりできないでしょう。

うちはたまたま モンテッソーリに行っていたので その辺が 本人に合わせてもらえる教育でしたが いま 忙しい日本の保育園では きっと 無理でしょう。

そういう意味で いま 子育ては 大変であり 少ない子供を 育てるのにどんなに工夫がいるかということを 憂えてしまいます。

小さい子供のうちに 集団になじむ力は つけていかなければ なりませんから 保育園や 幼稚園には いきますが 無理やり 本人のペースを無視した生活に なっていないか よく見てあげてください。

動物の子供でも 親とのつながりをきっちりと 持ったうえで 社会へ 出ていく気持ちを 持つようになります。

仕方なく保育園に行くにしても 帰ってから おおいそがしで 夕ご飯でお風呂で 適当に2,3さつ本読んで 寝かせて朝も早くに登園を繰り返しすだけでなく よく子供の 話を聞いたりしてほしいですね。

それは 親の仕事ですよ。

そして その中で 子供の個性をよくみて 個性を安定させて 個人力をつけさせてください。そして 親は 強力なバックアップに なるように。

バックアップでもありメンターもこなさなくてはなりません。

自分の子供の わがままを許すのが 個人力ではありません。

そこが難しいところで 何でも本人の意見を聞く必要は ないのですが ここ一番の大事なところに 親がわかって 本人の意見を受け入れるのが大事です。

嫌なこともしなければならない思うようにならない世界に 生きている大人が そこを 乗り越えていくのに、必要なことを 教えなければならなくて それはそれは試行錯誤のまいにちですが 数十年暮らしてきた先輩としてふるまって ください。ある意味親であることは 人生の教師としての責任が発生するということなのですから。日常のこまごまとしたことで いちいち子供の判断を聞いていては 日が暮れてしまいます。

たとえば 外食で 食べたいものなど小さいうちは効く必要はないと思います。

それを自分の腹具合も考えて 判断できる年齢までは 親が選べばいいのです。

その子が ちゃんとした判断が できるくらいに成長したら いろいろな 判断をさせていけばいいのです。

丸投げは わがままなこどもを作ります。

手間も暇もかけて でも 操作されていると本人に感じさせない 技術が 必要です。

そしてもう一つ 調和力とでも言いましょうか、いろいろな人がいるので 受け入れていくやり方を 覚えさせなくてはなりません。

意見をしっかり持っているけれど 多様性があることを 教え込むことが 大切です。

親自身が 偏見はありませんか。

リトルマーメイドのように 違うから楽しい、世界は いろいろあるから 受け入れあうことが必要なことを 知るのが大切です。

何だか 具体性のない話ですが それこそ 千差万別の子育てがあると思うので

そうなってしまいますが 個人力をつけて 人と違っても いい認識をもって いじめられても 自分を保てるように。

勿論 いじめられたりしたら 環境を 変えたらいいのです。

ずっと 消えてしまいたくなるまで そこに行かせないで 住むように

家庭内CIAとなって 子供を 観察してください。

調和力をもって 違う人をいじめる側にもならないように。

微妙な 感性が 親には必要とされるのです。

せっかくの 子供たちを ちゃんとした大人に 育てて 投資に成功しましょう。

社会に対する 人生の投資です。

 

 



品よくサバイバルに子育て―子供をよりよく育てる理由

子供は 当たり前ですが この世に生まれてきたときには 何もかもない 白紙に近い状態で来るといわれています。

まあ胎教とか言うこともありますが およそこれから住む社会への順応力は ないとおもわれます。

そこで 親や周りのひとが 教育していくのが子育てなのですが その質の良しあしで 人生のすべてが決まっていくことになると 私は感じています。

持って生まれた才能とかも教育のいかんによっては 花開くことがないかもしれない。そして 開きかけても 何らかのトラブルで つぶされたりそのまま しおれてしまうかもしれない。

そんなことって 本人にも社会にも損失であると 大人は感じなくてはならないのです。

ほんとに当たり前ですが 子育てとは 大人を作っている クリエイティブな 作業なのです。教育の良しあしで 出来上がりが変わって その先の社会構成の良しあしすら変わってしまうんですから。

以前、イギリスで ブレア首相が ”教育、教育、教育”と 何より大事と演説で いったことも、 マララさんが ”本とペンを”といっていたのも ほかにも女性一人に教育をきちんとほどこせば 家庭全体にその影響が及ぶといわれていることも皆、おなじいみですね。

そして 教育とは 学校のみで されるものではないのです。

学校のは 学校教育で 家庭で 身近な大人が ほどこすのが 家庭教育です。

海外では 宗教教育なども 結構重要視されていますが 日本は 一応宗教は 脇に置いて 考えているようですから、 外しておきます。

この 家庭教育部分が 特に おろそかになると 大人の質が下がってきます。

子供は 成人するまでは 保護者が せきにんをもって 教育をするものです。

今の子供たちは 昼間は学校で 夜は塾で 家で 大人と過ごす時間が 少なくて なんだか忙しそうですね。

でも よく注意してください。塾や学校では 家庭教育の部分は してもらえないません。

あくまで、学校は 机の上のある意味 専門的ともいえる勉強を 教師から習ったり、人間関係を経験する場所なのです。

人が、行動していく上で 大切なことや 生きていく上の細かい技術などまで 家庭で 教えなければならないのです。

ですから 大人も かしこくあるひつようがありますね。

でも、それ以上の 教えられない部分を子供が 体験し、吸収するために お稽古ごとに行ったり、あとは とにかく本に親しむ癖をつけなくてはなりません。

塾では 受験に必要なことしか習わないそうです、私は自分も子供も塾に行ったことがなくわからないので、 医薬系受験経験者のパートナーと塾の受付の仕事をしていた友人からの話で そう聞きました。

特に、パートナーは 何も知らないことを痛感することもあって教養を付けるのは自分の努力が必要だと思ったといっていました。

勿論、数学も国語もとても大切ですですが それを 学ぶときに 必要なのは

例えば答えを求める数式をいろいろ、覚えることではなくその数式の 意味を理解していることなのです。

その辺で 技術しか教えない日本の受験向け教育で 教養のない大人が育ってしまうと思います。

フランスのバカロレアという 大学入学資格をもらえる試験がありますが、ここでは 哲学の論文形式の問題があり、フランスの子供は 高校で 必ず哲学をまなぶので 受ける子供は この論文をかけるそうです。

今の日本の高卒の子供で 哲学論文かける子供は 居るでしょうか。

私はずっと私立で 教育を受けましたが それでも哲学はありませんでした。

日本の教育制度の 上っ面だけなところしか教えないシステムで 育った 大人が 世界で通用しにくくなっているのが よくわかるような話です。

英語にしても、アジアのインドネシアやフィリッピンなどの 国自体が 裕福とは言えないところでも ちゃんと多くの国民が 英語を話すから 海外に出稼ぎに行っています。

日本人は 海外に出稼ぎにすらいかれないですね。

英語が話せないから。

勿論、話せる人もいますが殆どの方は 学校を卒業しただけでは 話せるようになりませんよね。

先日、のったクルーズ船のイタリア人の若いスタッフは 英語を話しましたが 高校を卒業してすぐ 船に就職したといっていました。

まあ、お客のほうは ワン、ツーもわからない人もいましたけれど。

英語だけではなく、すべての世の中の知識をどんどん、吸収していくことは 子供の成長上、とても だいじで それも 無駄のない質の良い知識を いれるように 子どもを仕向けなくては なりません。

ですから、 小さいころから 育てる大人が うまく 方向付けをしなくてはならないのです。

自分が なにか どこかの方向を 向かされていると子供が 感じるようではだめなのです。

ちゃんと小さいころから 本人がそっちへ向くように向くように うまく修正しながらやっていくことが 大事です。

ですので 、私はもし 余裕があるのなら 特に小さいころは 親(もしくは育てる大人)が 手元で 方向を付けられるようにしてほしいと思います。

勿論、大人自身も 自分の生活などを きちんとしなければならない。

親のふり見て子は育ちますからね。

どの、生物も 子育てにかけては 結構、重要視しています。

人間だって、質の良い人間を育てるには多少の努力や 自己犠牲が必要です。

上手にしなければ その犠牲も無駄になりますから 手をかけていきたいものです。

それでも 子どもは 一つの人格で 育った暁は 1個人となりますので 何か、違ってくることもあると思います。でも 白紙に近い赤ちゃんにきちんと 書き込んでおくと それが 基礎になるので そんなに おかしなことには なりにくい。

100%OKとは 言えません。

私も 良い婿が育てたかったのに 息子は 1バツとなってしまいました。

でも そのうえでの責任は 果たしているようで 良かったと思っています。

子供を育てるときは 無我夢中とか言いますが けっして そうではなくそう見えても 内心は ちゃんと高いところから みおろして 上手に操作したい。

そうして 質の良い大人を育てていくと 子どもも その先に 持っていたものを 開かせることができると思います。

40歳前後に持つと子供は ぺナルティなる記事を ネットで見ましたが それは大変かもしれませんが ぜひ、そこまでの 大人の経験を生かせる クリエイティブな しごとと受け取って 大人な子育てしてもらいたいですね。

エネルギーはいりますが、知恵は若いころより 豊富なはず。

新しく得た プロジェクトとして 向き合って 良い子育てしてくださることを 願います。

どちらにしても 子育ては 大事業。とんでもない投資ですが 良ければ良い結果を生んでくれますから ともに 結構となれるようにしたいですね。

家庭教育で クオリティの高い大人を作れることを 確信しています。





品よくサバイバルに子育て―あいさつはどうしたらいいのか

時代の変わるのは良いことも、よくないこともあって 対応が むずかしいと思うこの頃です。

子供を育てるのにも 時代に沿って したいところも 伝統にのっとってしたいところもあるし。

でも 子供の環境が 危険にさらされるなら 考えなくてはならないし。

自分としては 子育て終えれて良かったと思ってしまいます。

私たちの子育てのころは まだ 挨拶を奨励できていた時代でした。

家のご近所の方とかでも あったら 挨拶するように注意したものです。

そうでなくとも 何かしていただいたら ありがとうとか ごめんなさいとか 。

今は 外で 知らない大人には 挨拶しないというようにしているようです。

知っている大人でも 危ない人いますから、わかる気もしますが なんとも殺伐としています。

そもそも 挨拶は 知らない者同士が あったときに 自分に敵意がないことを

相手に伝える方法として できたのではないでしょうか。

知らない人と親しくなって あぶないので 挨拶しないという習慣は 大人になったときに どうなってしまうのか。

知らないうちは 相手を無視したりするのですかね。

コミュニケイトの最初の手段である 挨拶が なくてもよいという環境で育ってしまったら 新しい場面での対処が むずかしくなりそうです。

私などは 逆に いえのなかでの 挨拶は 軽くしてもいいと思います。

もう、知っている人ばかりなんだから 逆に いきなり会話に入ってもいいのではないかと思います。

”いってきます”とか”行っていらっしゃい”とか”いただきます”とかは 必要と思いますが。

”ただいま”や”おかえり”は 共稼ぎのおたくでは場面自体、へっていますしね。

自分も子供のころは なんだか大きな声で おはようというのが 気恥ずかしいこともありましたし、天気いいねとか軽い会話が 好きだったせいか 家族とは あまり そういう挨拶をしない 子どもでした。

でも なぜか うちのネアカな子供たちは こっちが 返すまで ”おはよう!”というくらいのひとたちで 外でも 挨拶しまくっていたようです。

やはり あぶない人がいるからと あいさつしないのではなく 誰かと顔があったら、あいさつするのが 印象もよくお互いにへいわなかんじですよね。

クルーズ船に乗ると 西洋系の乗客は よく 挨拶を交わします。

顔見知りでなくとも 通りすがりのスタッフでも ウェイターでも エレベーターで乗り合わせた方とでも 軽く挨拶すると雰囲気が和みます。

日本人は 働く人に声をかけたり お礼を言ったりすることが すくなく 不愛想な印象を受けます。

子供を連れて歩く場面で おやが  ちゃんと あちこちで 声をかけたり挨拶したりして見せることは だいじな 教育です。

ちょっとにっこりして ”Thank you”とか”ありがとう”とか いう習慣をつけることをお勧めします。

スーパーのレジだって ”ありがとう”とか ”お世話様”とひとこといえば 感じよいではないですか。

レストランのサービスにだって お金を払った客だからと こえもかけないで いるより ここでも にっこり”ありがとう”というべきです。

こういうところから 差別的意識が 生まれたりするのです。

日本は ある意味隠れた レイシズムが 蔓延しているところがあります。

職業的差別もありますし、経済差別もそのほかいろいろなところで じぶんとちがうところを 差別したがるところが多いです。

でも 相手も立場を考えるように子供に 教えていくことで 防げることもあると思います。

コミュニケイトの 最初は 挨拶です。

形を変えて 軽い会話でも大きくなればいいでしょうし、他人を受け入れないように教え込んでしまうと あと どうなるか しんぱいですね。

おとなでも 差別的な人は たくさんいますが だからといって 良いことではない。

人類が このまま 社会を営んでいくうえで こどもに きちんとコミュニケイトする技術を教えるのは 重要事項です。

40歳過ぎても であってこんにちはと声をかけて ”あー、うー”と すぐこんにちはを返せない大人も知り合いにいます。

本人の切り替えも 必要でしょうが やはり 世界中にいる自分以外に 自分は 敵意を持っていないと知らせる 手だてをすぐ出せるような おとなに育てたなければと おもいませんか。

じつに おとなになって あうひとのほとんどは みんな 最初は 知らない人なのですから。

当たり前のようで 再認識しなければならないことです。