通常には子供に教育を施すのに いまはいくつかの選択肢があります。
そこが悩ましいところで、 外で 働く女性は 自分で 家で 育てられない時間、保育園にいれますし、時間があれば 幼稚園のほうに 入れるほうが 良いのかどうか かんがえます。
一般の働き方では 日本では 帰りが遅いので 保育園に行き、小学校に上がってからは 学校、学童という流れが多いと思います。
政府も、幼児教育の無償加を うたったりしていますが、この子供の少ないご時世に幼児教育の無償では少しの補助にしかならないようです。
けれど、 ここで かんがえてください、子供を産んだ以上、いい育て方をしたいと思老いませんか?
しっかり育ってほしくはないですか?
保育園もよいかもしれないけれど、結局,保育園は託児所に近いものではないでしょうか。
家でしっかり主婦をする云々ということをいっているわけではないのです。
なんといえばいいのか難しいのですが、 日本の保育園や幼稚園や、小学校にしても どれだけ 本気に子供を見てくれるのかと ふと思うのです。
皆さん、頑張ってしてくださっていますが、お仕事でしてくださっているわけです。
別に親でなくてもいいけれど、生命をかけるほど真剣に誰か大人が 子供の育ちに気を使ってほしいということなのです。
特に、学校では しつけはしません。だって学校は 勉強を習うのが 本来の目的、親が できない専門的な 教え方をしてくれるところと 私は考えます。
で、じゃあ、人間としての大事なことは どうするか、 ちかい大人が せきにんもって 教えるべきなのです。
私は製造者責任と おもっています。
遺伝子のなせることもあるでしょう、でも此の世に 一人人間を製作して出したわけですから 一応、成人になったとみなすまでは 責任もって 育てたいと思います。
正式には今は成人は 18歳になってしまいました。
モンテッソーリの考え方では 20代の前半、22から24,5歳になれば 一応、大人になったと思える成長を遂げるそうです。
まあ、長いようで 意外と短い時間です。
その間に、悔いなく首尾よく育て上げる責任を 大事にしたいと思います。
そして、成人したら 独り立ちしてもらう。
それまでに よくよくかんがえて てきぱき育てていかないと 大変です。
うかうかしていられないのです。
育てることを 他人の手に全部任せてしまわないように 自分の管理下にちゃんとおいておきましょう。
うちでは 高校から海外留学を いれたので 男子は 3年以上、女子もそれに近い間、手元からはなしました。
でも できるだけの情報は とりました。
でも しょっちゅう会いに行ったりはしていません。
クリスマスなどに戻ることはありましたが、 ホームステイや 寮等の環境の中で みていてくれている大人との連絡は密にして、本人とは そのころは ファックスや急ぎの時は電話でした。
今のようにスカイプなどはありませんし、インターネットで メイルも簡単にやり取りできる時代では なかったので。
でも、幸か不幸か、大学卒業後の人生を二人の子供が両方とも、自分たちで 切り開いていってくれています。
それぞれで自分の人生を 決め、歩み、仕事を得ています。
海外に出したことで よその大人に 任せたことにはなりますが 高校に入るまでは 主婦でしたし、きっちり みていたと思います。
べったりになるのではなく、 みるべきことは見る、管理すべきことは管理するのが 身近な大人のしごと。
子供は子供で 大人ではないのです。
勿論権利はありますが その権利は 義務にともなうもの。
メンターとしての大人のまえで修行しているときには まだ 大人ではないのです。
そのことを踏まえて 丁寧に育てていくことをお勧めします。
こどもは 世界に一人の個人です。
その個人をよくよく、保育園の先生や 学校の先生にしっかり、見極めてもらうのは 無理なはなしです。
一番近い大人が 良い導き手になる責任を負いましょう。
この大任をせおうことで得ることもあります。
この子供の少ない時代に、生まれてきた次の世代を きっちり 育て上げること以外、未来の起訴を作る方法はないとは 思えてしまうのです。
上品な人=我慢のできる人
という簡単なたとえを書いてあるのを見たことがあります。
我慢は なれていれば つらい我慢には ならない。もしくは我慢することにすらならないかもしれません。
品のある人になる訓練が 小さいころから できた子供は それだけらくな人生がおくれるはずと思います。
賢い大人もまたしかりです。